21時前にようやく海と風の宿に戻ってきた。他の人たちは既に交流会に突入していた。玄関前で渡具知親子に出会うが、子供が疲れてしまったみたいで、母子は先に帰っていった。後から戻ってきた父親は語る、「署名に賛成でも反対でもない人が一番頭に来る、賛成でも反対でもなければ端からは賛成と捉えられてしまうのだから。」と。我々が廻った先でもそういう老人が何人か居た。

 成田さんは玄関横のiMacに向かい始めた。さっそく、私が制作に関わっている用賀ネットホームページを開き、30年前とは打って変わった用賀の様子にたいそう驚きであった。用賀ネット掲示板に過去の知り合い求めてメッセージを残していった。そして成田さん自身のホームページを開き、あとは地元話をしながらチャットに走り出してしまった。 主婦たちは道ジュネーを続けることでねばり強く基地反対を訴えていくのみとのことである。

交流会 成田さんの机
成田さん・ネット中 成田さん・正面
「海と風の宿」の中に入ると、向かって左手にいきなりiMacがお目見えする。成田さんが公私にわたって使っているマシンで、インターネット環境もしっかり整っている。

 二見以北十区の会事務所には、先に軍民共用空港の実現した青森県三沢市からの証言記事(琉球新報発)が張り出されていた。空港騒音で、近隣部落とその中の学校が全て遠くに集団移転してしまったという話である。振興策で一時的にお金が入ってきても、長期的にはこのように住民への補償にお金を費やすことになってしまうのであるから、結局は振興策どころかマイナスにしかならないという先例であり、三沢市民の声にしっかりと耳を傾けて欲しいものである。


2月6日(日)

 沖縄にきてまだ一度も身を清めていなかったので、水シャワーを浴びてとりあえず体を洗った。大阪組は一足先に帰路へ、関東組は東恩納さんの案内でウミガメの生息地が近い崖に案内してくれた。水がきれいで、深さ数メートルの所の岩がはっきり見える。東海岸がかけがえのない財産であることを改めて認識させてくれるものであった。

南向き 東向き
北向き ウミガメが生息する海・・・あなたは本当にここを戦争のために提供できますか?

 私以外の関東4人は2人ずつになって瀬嵩地区などへビラ配りに出かけた。私はノートパソコンを出して、ワープロで出力されたジュゴン基金協力者名簿をExcelに打ち出していった。次週応援に来る人たちに続きを任せ、Accessにインポートする前準備を仕立てた次第である。

 昼過ぎ、私たちは会の事務所を出た。名護市街地で食事、市街地の至る所にへり基地反対協・医療生協・沖教祖青年部の反対看板が並んでいた。「ヤンバルを基地にするな」「嘘つき市長はもうヤダ」「教え子を戦地に送るな」と。首里城公園を歩いて第32師団の跡地を見学、琉球王朝の歴史に少し触れた後、那覇の国際通りで買い物をしていった。那覇空港で食事をしてJASの便で一路羽田へ、羽田で解散して私が自宅へ戻ったのは23時頃だった。

 名護で住民の声を聞いたことにより、私が都会生活で知る由もなかった部落連帯というものを初めて思い知った。連帯に背けば生活ができなくなってしまう、読谷村の如くトップに有能な方が来れば村はまともな生活を送ってゆけるが、名護の場合はトップが政府の言いなりになってしまったのだから、一気に不幸になってしまったのである。

 単純に反対の声を上げるだけでなく、生活的圧力に屈しないで済むような計らいも必要になっていくのだろうか?私たちがこれからできることを考えさせられる今回の支援行動であった。